JaLCDOI 10.18926/bgeou/9192
FullText URL 064_0331_0356.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 正徹の家集「草根集」全十五巻のうち、巻一には、いわゆる定数歌の類が十三種まとめて収められている。この十三種の定数歌を、名称、詠歌年時、詠歌場所に留意して表示すると第Ⅰ表のようになる。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1983
Volume volume64
Issue issue1
Start Page 31
End Page 56
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311125
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9211
FullText URL 065_0323_0341.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 頓阿の家集「草庵和歌集」(以下「草庵集」と略称)は、その成立当初より歌人たちの注目を集め、二条派の規範的な和歌を集めた歌集として大いに享受された。この趨勢は江戸時代になっても持続され、香川宣阿の「草庵集蒙求諺解」(享保八年刊、正続二十巻)、それを批判した、桜井元茂の「草庵集難註」(享保十五年刊、二巻)、本居宣長の「草庵和歌集類題」(元禄八年刊、蜂谷又玄編)、「草庵類句和歌(元禄一二年刊)などの類題本や索引などが多数刊行された。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1984
Volume volume65
Issue issue1
Start Page 23
End Page 41
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311056
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9232
FullText URL 066_0301_0319.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 生あるものの、逃れられない宿命として死がある。死を予感したり、死を眼前にするとき、人々は現世との永遠の訣別を思い、深い寂しさに心を震わせたり、激しく慟哭する。その末期の眼がとらえた心情が契機となって、文学作品が創作されることも多い。けれども、死の到来からくる悲傷は、なにも当時者に限ったことではない。後に残された肉親や近親者にとっても大きな衝撃を与える。そこに死者に対する追悼や追善が行われ、哀傷歌が誕生する。この現象は、人間界において不変に繰り返されてきたもので古代の「万葉集」における挽歌の占める重量感をもってしても納得できる。挽歌の世界は、「古今集」の成立のとき、巻十六の哀傷部に継承された。四季歌・恋歌に比較すれば、その比重は著しく減少したが、一首一首に込められた心情は、その背景に思いをいたすとき、深く重い響きを伝えている。「古今集」の哀傷の部立は、これ以降、室町期まで連綿と続いた勅撰集に一つの典型を与え、多くの勅撰集が哀傷部を特設している。なかには哀傷の部立を持たぬ勅撰集もあるが、雑部のそれに等しい領域を有する。この傾向は、私家集などにも影響を与えた。頓阿の家集「草庵和歌集」(以下「草庵集」と略称)にも、巻十のなかに哀傷部を特設し、四十余首の歌を掲載する。先述した哀傷歌誕生の意味を考慮するとき、私家集の哀傷歌の世界を考究することは、その歌人の思想や抒情の質の一面や生涯における人と人との交誼の縮図を見ることも可能であろう。この稿で、「草庵集」の哀傷歌にスポットをあて、部立の配列や構成、また追悼を行った人物と、そこに込められた抒情を瞥見しようと試みるのも、この点を念頭においてのことである。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1984
Volume volume66
Issue issue1
Start Page 1
End Page 19
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311170
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9243
FullText URL 067_0091_0104.pdf
Author Hirai, Yasuhisa|
Abstract n個体のv変量について観測されたデータを、個体と個体の間の関係をもとにして、多変量データを低い次元で要約する統計的手法の中に主座標分析がある。これはGowerによって始められたもので、いくつかの例が報告されている。特にデータの値が1と0のみの場合にも適用できるため、S-P表(佐藤)に用いられるような教育数値データへの応用を考えてみたい。S-P表の考えは、n個体のv項目のテスト問題に対する得点を1、0のデータで表し、授業分析や生徒と問題の関連の分析に役立てようというものである。ただ、その処理結果がデータの相互依存性から得られるものである点では主座標分析の考えと共通の性質をもつものである。したがって個体間の関係に注目すれば、各個体のデータを低次元でブロックする処理を行い、その互いの位置関係を知ることで個体どうしの関連を把握できると考えられる。
Keywords S-P表 主座標分析
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1984
Volume volume67
Issue issue1
Start Page 91
End Page 104
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311057
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9250
FullText URL 067_0209_0219.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 浄弁は南北朝期に為世門の和歌四天王として、頓阿・兼好・慶運などとともに歌壇に活躍した歌僧である。しかし、その生没年や出自などが不明であるばかりでなく、現存する和歌作品も稀少である。浄弁には、信頼できる家集が存在せず、その歌は「続千載集」「続後拾遺集」「新千載集」「新拾遺集」「新後拾遺集」「新続古今集」の勅撰集や、「続現葉集」「臨永集」「藤葉集」「松花集」の私撰集の類に、数首ずつ入集するほか、「花十首寄書」「朗詠題詩歌」に散在するだけである。その歌数は、重複するものを除き、約八十首ばかり。もっとも、書陵部には、「浄弁竝慶運集」(四〇六・二四)なる孤本の写本一冊が存し、『私家集大成 中世Ⅲ』に翻刻されている。この写本の前半の四十一首が浄弁の歌とされているが、『私家集大成』の解題でも「本集の歌は既知の浄弁の歌と一致するものがなく、本集の表題や巻頭の署名以外に浄弁の集と断定し得る明徴がない。さりとて浄弁作なることを否定する積極的な根拠もないし、後述するようにかつては家集もあったというから、一応浄弁のものと認めておき、詳細な検討は将来を期したい。」(荒木尚氏執筆)とあるように、浄弁の家集であることが実証されていない。「かつて家集もあったという」とは実隆公記(文明十五年七月廿二日の条)で、打聞資料の一つとして提出された、法印浄弁詠草 依仙洞仰、所書進之詠之由、見奥書、殊勝之物也 を指しているが、書陵部本との関連は不明。この書陵部本「浄弁集」に関しては、この稿の末尾で若干言及するが、たとえ浄弁の詠草としても、たかだか四十一首で、先の八十余首と合せても、百二十余首で、稀少な和歌しか現存しないことに変わりはない。この点からみても、浄弁の自筆懐紙・短冊の集成が必要となってくるが、ここでは売立目録や古筆手鑑類の調査で知り得たものを紹介する。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1984
Volume volume67
Issue issue1
Start Page 9
End Page 19
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311088
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9254
FullText URL 068_0035_0045.pdf
Author Yamanaka, Yoshikazu|
Abstract 本稿の目的の一つは、維新変革期の国学者の一人、鈴木雅之の中に、天皇への求心的な姿勢の実相を探るとともに、それとのかかわりにおいて提示される雅之の学校構想がいかなる機能をもつものであったのかを考察することにある。後述するように、雅之においては天皇への求心的姿勢は「人心一和論」として展開する。それは朝廷=天皇が、民衆統合への確固たる収束点として政治的に明確化されてはじめて可能になることであった。ところで、後期国学全体に目を向けたとき、そこには雅之のごとく政治的統合の核として天皇を位置づける以前に、「神の御心」を媒介項として民衆の心の把握を図り、それを通して一定の秩序を確保するという側面があったことを忘れてはならない。「八雲立つ出雲の神に神習ひ習ふや道の学問なるらむ」「幽世の神の御前を畏みて愧る心を人なわすれぞ」と詠んだ、下総の農民、宮負定雄はそのような国学者の一人であった。神習ふとは人々が神の御心を行動の規制原理として心の内に持つことを意味した。そこで期待されている行動とは「身を慎み、身分に応じて、世の為人の為に、それぞれの功を立て」るということに包括されうるものである。しかも宮負は人々にこのような行動を通して、村落が和合し、上下が和合する状態が現出するものととらえたのである。ここに、宮負が村落問題に対して教育的に対処しようとした姿勢を見ることができよう。本稿はまずはじめに[Ⅰ]において宮負定雄について考察する。宮負の和合論を検討し、そのなかで神の御心がいかなる意義をもつものであったかを明らかにする。次に[Ⅱ]では、鈴木雅之について、尊王論、人身一和論、学校思想の三点から考察する。以上の考察を通して、幕末維新期の国学にみられる教化論の性格が、民衆統合論の視角から明らかになり、学校教育思想がもつ意義も明確になるものとおもう。
Keywords 鈴木雅之 宮負定雄 国学 教化論
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1985
Volume volume68
Issue issue1
Start Page 35
End Page 45
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311162
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9264
FullText URL 068_0211_0228.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract この拙稿は、本誌の第六十五号に掲載した「『草庵和歌集』伝本考(上)」の続稿である。(上)では、伝本研究の現状、伝本研究の目的と方法、ついで現在までに調査した、三十余りの伝本の書誌的概要をやや詳しく解題した。さらに、それを基底に、伝本分類を行ない、まず諸本間にみられる和歌の有無の観点から、各伝本の性格に触れた。この論考では、それを受継し、詞書と配列の方面から、諸本間の異同とその意味を吟味してゆく。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1985
Volume volume68
Issue issue1
Start Page 11
End Page 28
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311087
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9265
FullText URL 068_0229_0240.pdf
Author 森 熊男|
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1985
Volume volume68
Issue issue1
Start Page (29
End Page 40)
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311068
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9300
FullText URL 069_0323_0331.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 慶運は、南北朝期に為世門の和歌四天王と称され、頓阿・浄弁・兼好などとともに、歌壇に活躍した、歌僧である。しかし、彼の生存中に撰集された勅撰集には「風雅集」にわずかに一首入集しただけで不遇であった。心敬の「ささめごと」には「中比、頓阿、慶運法師とて歌人あり。慶運は身の程や不肖なりけむ。毎々述懐をのみせしとなり。新千載集に四首入れられ侍るとて、撰者を九拝して涙をながし喜び侍りしに、頓阿が歌数十首入りぬると聞きて、後日にわが歌を切り出だし侍るとなり。」とか、「運慶法師今はの時、年来の詠草抄物、住みなれし東山藤もとの草庵のしりへに、みな埋み捨て侍ると也。道に恨みを残し侍るも情け深き事也」といった逸話を伝えている。それかあらぬか、中世の歌人としては現存する和歌はそれほど多くない。纏まったものとしては、「慶運法印集」、「慶運百首」がある程度。前者は元来、三百首からなっていた自撰家集であったようだが現存資料では数首欠脱している。後者は、ある時期に一気に百首歌を詠じたものではなく、本人か他の人が、百首を撰歌したもののようで、両詠草間には約四十首ほどの重出歌がある。この他、慶運の和歌は、「風雅集」「新後拾遺集」「新続古今集」の各勅撰集、「続現葉集」「臨永集」「藤葉集」「松花集」などの私撰集の類、「朗詠題詩歌」「玄恵法印追善詩歌」「二条為世十三回忌品経和歌」「花十首寄書」「草庵集」「高野山金剛三昧院奉納短冊」などに散見する。また、書陵部には「浄弁竝慶運集」(四〇六・二四)なる孤本が存し、そこに六十六首の慶運の和歌が収録されているが、この歌群には、既知の慶運の和歌と一致するものが一首もなく、表題のように慶運の家集かどうか確認されていない。この詠草の検討は最後に若干行う予定だが、これを加算しても、現存する慶運の和歌は、およそ、五百首ほどで、特に多いわけではない。ここで売立目録類や古筆手鑑類を調査して、彼の自筆懐紙や短冊の集成を試みるのも意義あることと思うので、現在知り得たものを紹介しておきたい。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1985
Volume volume69
Issue issue1
Start Page 23
End Page 31
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311086
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9320
FullText URL 070_0209_0225.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract この拙稿は、本誌の第六十五号と第六十八号に公表した「『草庵和歌』伝本考(上)(中)の続稿である。(上)では、伝本研究の現状、伝本研究の目的と方法、伝本の書誌的概要を述べ、さらに伝本の系統分類を行うとともに、諸本間の和歌の有無の観点から、各伝本の性格に言及した。続いて、(中)では、詞書の異同、配列の異同を整理し、その異動の生じた原因などに触れ、各伝本の特質の一端を記述した。この論考では、以上の(上)(中)の結果を受継し、主として諸本間の歌本文の異同を吟味し、各系統の伝本の位置に触れ、一応のまとめとしたい。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1985
Volume volume70
Issue issue1
Start Page 9
End Page 25
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311103
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9343
FullText URL 071_0339_0354.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 兼好が生前、「徒然草」の著者としてではなく、二条為世門の歌人として知られていたことは、洞院公賢の日記「園太暦」(貞和二年閏九月六日の条)の「兼好法師来、和歌数寄者也、召簾前謁之」の記事などによっても推察できる。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume71
Issue issue1
Start Page 39
End Page 54
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311084
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9363
FullText URL 072_0201_0219.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 頓阿の家集「草庵和歌集」(正・続)は、成立当初から、二条派の歌人を中心にして、広く享受され、その影響力は、江戸時代にまで及んでいる。「草庵集」の享受の様相を辿り、その特質を把握することは、この家集の諸本の問題や和歌の特色に触れることができると同時に、その時代の和歌の実態の一面に照明を当てることにもなろう。この意味で、中世・近世における「草庵集」の享受を跡付けることは、少なからざる意義を有する。同様な趣旨のもとで、すでに、似雲の「詞林拾葉」(磯の浪)を取り扱ったが、本稿はそれに続き、澄月の「和歌爲隣抄」に焦点を絞り、享受の一端を明らかにしてゆきたい。澄月の伝記は、最近、兼清正徳氏の豊富な資料を駆使した大著『澄月傳の研究』(昭和58年刊)が出版され、その生涯が随分明確になってきた。まず最初に、この『澄月傳の研究』などを参照しながら、ごく簡単に彼の伝記を記述しておく。澄月は、正徳四年(一七一四)に、備中国浅口郡玉島に誕生(垂雲和歌集・亮々草紙)。俗姓は西山氏。垂雲軒・酔雲軒・酔夢庵などと号した。八歳の頃に出家、天台宗の清滝寺の慈相法印の徒弟となる。やがて比叡山に登り、天台教学を学んだと伝えられる。(近世三十六家集 伝)。ついで洛北塔の壇で信覚上人について念仏修行を積み、(近世往生伝)、長く行脚生活を続けた。その後、洛東岡崎に隠棲、武者小路実岳の門に入り、二条家歌学の奥旨を受けた後、(亮々草紙)、歌道で身をたて、小沢蘆庵・慈延・伴蒿蹊とともに、平安の和歌四天王と称された。寛政十年(一七九八)五月二日、垂雲軒で病死、享年八十五。主なる著作には、孫弟子の宮下正岑の撰録した「垂雲和歌集」(天保二年刊)、柿本・玉津嶋・住吉の三社への奉納歌「澄月法師千首和歌」(文政十一年刊)、それに歌論書「和歌爲隣抄」(寛政九年刊)などがある。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume72
Issue issue1
Start Page 1
End Page 19
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311136
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9364
FullText URL 072_0221_0232.pdf
Author 森 熊男|
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume72
Issue issue1
Start Page (21
End Page 32)
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311096
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9372
FullText URL 073_0047_0062.pdf
Author Yamanaka, Yoshikazu|
Abstract 本稿は、まず[Ⅰ]において主として鈴木雅之と岩倉具視を手がかりにして、王政復古前における天皇統治の原理がどのように把握されていたかを明らかにする。次に[Ⅱ]において王政復古直後に形づくられようとした天皇像の基本的性格を矢野玄道と大久保利通の見解によって考察する。[Ⅲ]においては、[Ⅰ][Ⅱ]をうけて、明治維新政府の最初の教育制度構想である学舎制の特質を、矢野玄道の国学思想と学校構想とに焦点をあてて考察し、明治初頭の復古性を教育理念の側面から明らかにしたい。これらの作業は、教育勅語によって確定される民衆の臣民化政策の性格を、その道程の発端の時点において明らかにすることになるとおもうのである。
Keywords 国学 教化論 鈴木雅之 岩倉具視
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume73
Issue issue1
Start Page 47
End Page 62
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311166
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9373
FullText URL 073_0063_0075.pdf
Author 森 熊男|
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume73
Issue issue1
Start Page 63
End Page 75
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311077
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9379
FullText URL 073_0219_0237.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 頓阿の家集「草庵和歌集」(正・続)が南北朝・室町時代および江戸時代を通じて、二条派和歌の聖典として広く享受されてきたことは、諸々の方面から確認できる。南北朝・室町時代の歌人たちは「草庵集」を写本で繙読しただろうが、江戸時代になると、版本が上梓されたので、それによって享受されることの方が多かったと推測される。江戸時代には、まず承応二年(一六六四)に、各々版本が刊行されている。『國書総目録』によると、承応二年板は、内閣文庫本以下五部、寛文四年板は慶応大学本以下二十部を各々掲出しているが、特別に多く現存するというほどではない。この二度にわたる版本の上梓は、江戸前期の歌人たちの渇をいやしたであろうが、元禄以降になると、「草庵集」を解体し、歌題別に分類、組織変えした「草庵和歌集類題」(以下「草庵類題」と略称)なる版本が一般に広く流布したようである。この事実は、すでに武者小路実影・似雲・澄月などの「草庵集」の享受の様相を辿ったところでも一言触れたことがあるが、彼らは皆、このコンパクトで便益な「草庵類題」を手許に所持し、詠歌の際に規範として活用していた。また、この本は、『國書総目録』に、元禄八年板、寛延四年板、安永四年板、嘉永二年板の諸版本が掲出されているように、頻繁に重刷された。この「草庵類題」は、「草庵集」(正・続)を解体し、歌題別に編纂したものだが、元禄頃から江戸時代を通し、人々に最も親しまれた頓阿の家集だけに、編纂に際して依拠した「草庵集」の伝本、本文の信頼度、編纂方針など、いわゆる成立問題の解明が改めて必要となる。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume73
Issue issue1
Start Page 19
End Page 37
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311151
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9386
FullText URL 088_0041_0047.pdf
Author Hirai, Yasuhisa|
Abstract Baroody(1985)は子どものinformalな手続きとsophisticated conceptとの不一致の例として、3+5において5から3だけ数え足しにする子どもが3+5と5+3が同じ答えになることまで考えていないという例をあげている。さらにBaroody(1987)では、加数と被加数の交換をするとき、sameではないにしてもcorrectな答えになると考える子どもがいることを述べられている。本研究では、小学校1年生の整数の加法計算の問題において、1年生1学期の段階で被加数と加数の順序を入れ換える活動をする子どもの例をいくつかあげて、子どもによってどのような背景が見られるかについて考察することを目的とする。なおデータとして用いるのは、小学校1年生に対するたし算ストラテジーの調査(註を参照)で得られた結果の一部である。
Keywords 小学校1年生 たし算 被加数
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1991
Volume volume88
Issue issue1
Start Page 41
End Page 47
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311132
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9399
FullText URL 088_0209_0216.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 平成二年五月、「和歌史研究会会報」(第九十七号)に、梅沢記念館所蔵の古筆手鑑『あけぼの』収載の正徹詠草の古筆切に関し、「伝宗伊筆『正徹詠草切』について」という拙稿を公表した。その検討結果、この詠草切五首のうち、三首は家集「草根集」に見出されるが、他の二首は正徹の新出和歌と認定してよいこと、また、これは正徹が永享五年(一四三三)、あるいはそれに近い頃に詠出していた、独吟詠歌の手控え的な詠草の断簡の可能性が強いことなどを提示し、ただ、もとの詠草がどの程度まとまった資料であったかの想定は難しいことも申し添えておいた。その後、この拙稿を目にとめられた、田中登、杉谷寿郎の両氏から、相次いで先の詠草切のつれと思われる古筆切のコピーを数葉送っていただいた。長年にわたり、古筆切の収集、検討を持続されている、田中、杉谷両氏からの資料提供は、まことにありがたく、先の「あけぼの」収載の一葉も含め、伝杉原宗伊筆の「正徹詠草切」に関し、ここに改めて再検討を加えてみたい。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1991
Volume volume88
Issue issue1
Start Page 9
End Page 16
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311183
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9400
FullText URL 088_0217_0229.pdf
Author 森 熊男|
Abstract 『史記』仲尼弟子列伝に、司馬耕、字子牛。牛多言而躁。問仁於孔子。孔子曰、仁者其言他訒。曰、其言也訒、斯可謂之仁乎。子曰、為之難、言之得無訒乎。問君子。子曰、君子不憂不懼。曰、不憂不懼、斯可謂之君子乎。曰、内省不疚、夫何憂何懼。と見える。こと司馬耕(あるいは司馬牛)に関して、司馬遷が記録したものといえば右の僅か八〇字の記述がその全てである。引用文中の「牛ハ多言ニシテ躁ナリ」なる批評が、いかなる資料に基づいて発せられたものであるかは問わぬとして、人間洞察に優れる司馬遷が、司馬耕に与えたこの人物評語は『論語』中の「司馬牛問仁」章の解釈に大きな影響を与え続けて来た。その事は本論でも触れる通り、紛れるかたなき明確な事実と言える。さて、標題に掲げた問題の「司馬牛問」で始まる章は『論語』の中に二章存している。一章は「司馬牛問仁」(顔淵篇)の章であり、他は同じく顔淵篇の「司馬牛問君子」のそれである。この小論では、これら二章に、更に、『論語』の中で司馬牛が登場しているいま一つの章、即ち、顔淵篇の「司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我独亡」の章をも加え併せた三章を分析の対象とし、それらに考察を加えることによって、司馬牛の人となりを明らかにし、そこから遡って、『論語』の「司馬牛問」の二章に対する解釈を試みる。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1991
Volume volume88
Issue issue1
Start Page (17
End Page 29)
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002311146
FullText URL 033_0301_0314.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract この稿の目標は、藤川題という限定されたなかで、他の歌人との比較を通して、正徹の詠歌手法の特色を把握することにあったため、いきおい、相対的な見解になった。しかし、相対的ということは、より具体的見解として重要な示唆を与えるものと思う。「藤川題百首」には、述懐性や名所歌枕の方面の分析も必要であるが、すべて将来の課題である。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1972
Volume volume33
Issue issue1
Start Page 301
End Page 314
ISSN 0471-4008
language 日本語
File Version publisher
NAID 120002305967