
検索結果 3270 件
| 著者 | 片山 元| |
|---|---|
| 発行日 | 2016-10-22 |
| 出版物タイトル | 岡山大学算数・数学教育学会誌 : パピルス |
| 巻 | 23巻 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| 著者 | 磯野 嵩| |
|---|---|
| 発行日 | 2016-10-22 |
| 出版物タイトル | 岡山大学算数・数学教育学会誌 : パピルス |
| 巻 | 23巻 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| JaLCDOI | 10.18926/54680 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | The Meanings and Functions of Aspect and Tense Forms of Verbs Expressing Properties |
| フルテキストURL | hss_042_065_079.pdf |
| 著者 | 呉 揚| |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要 |
| 発行日 | 2016-11-25 |
| 巻 | 42巻 |
| 開始ページ | 81 |
| 終了ページ | 94 |
| ISSN | 1881-1671 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005893526 |
| フルテキストURL | K0005424_abstract_review.pdf K0005424_fulltext.pdf |
|---|---|
| 著者 | 趙 麗君| |
| 発行日 | 2016-09-30 |
| 資料タイプ | 学位論文 |
| 学位授与番号 | 甲第5424号 |
| 学位授与年月日 | 2016-09-30 |
| 学位・専攻分野 | 博士(文学) |
| 授与大学 | 岡山大学 |
| 言語 | 日本語 |
| フルテキストURL | K0005410_abstract_review.pdf K0005410_fulltext.pdf |
|---|---|
| 著者 | 石原 靖弘| |
| 発行日 | 2016-09-30 |
| 資料タイプ | 学位論文 |
| 学位授与番号 | 甲第5410号 |
| 学位授与年月日 | 2016-09-30 |
| 学位・専攻分野 | 博士(工学) |
| 授与大学 | 岡山大学 |
| 言語 | 日本語 |
| JaLCDOI | 10.18926/54536 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | “情(Qing)”in the Zhu Xi Philosophy |
| フルテキストURL | bhe_011_055_074.pdf |
| 著者 | 孫 路易| |
| 抄録 | 本稿では、朱子のいう「情」についてできるだけ深く掘り下げて再検討することを試みる。 「天地の情」は、自然界の、「公正無私、健やか、和やか」といった性格と気の働きとの両義を併せ持つものである。つまり、自然界のあらゆる自然現象や自然物は皆、「公正無私、健やか、和やか」といった性格を持つ気の働きによって作り出されたものである。「公正無私、健やか、和やか」という性格は、「天地の心」が無生物や生物や人間に賦与されることに伴ってそれらの物体にも備わるのである。 「物の情」は、物体のその自身の性質を現す働きである。「草木禽獣の情」は、「五常の性」から発生した原初的「情」と、原初的「情」が具体的な物に対して向かうことによって生じた志向的情感、及び知覚、といった内面的な働きである。 「人の情」には、「本然の性」から発生した「四端」と「気質の性」から発生した「七情」の二種類がある。「四端」は原初的「情」であり、「七情」はその一部分が原初的「情」となって現れる。原初的「情」の働き方によって生じた幾つかの異なる心の働きが派生的「情」であり、派生的「情」には「意」「志」「知」「思慮」などといった要素が含まれている。 「意」と「志」はともに志向的情感であるが、その性格は「志は剛、意は柔」のように正反対であり、意欲、作用、忖度、感応が「意」の具体的な内容である。「知」はつまり「知覚」または「知識」であり、「知覚」は、神経感覚・器官感覚・生命感覚・道徳感覚を意味し、「知識」は認識や見識を意味する。「思慮」はつまり「思」であり、思惟・思索を意味し、派生的「情」においては枢要な働きを担うものであるが、不善を生ずるものと認識されている。 |
| キーワード | 天地の情 物の情 草木禽獣の情 人の情 四端 七情 情 意 知覚 思慮 |
| 出版物タイトル | 大学教育研究紀要 |
| 発行日 | 2015-12-30 |
| 巻 | 11巻 |
| 開始ページ | 55 |
| 終了ページ | 74 |
| ISSN | 1881-5952 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005838014 |
| JaLCDOI | 10.18926/54533 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | De l’histoire littéraire au champ littéraire: Saisei MURO et la poésie japonaise moderne (2) |
| フルテキストURL | bhe_011_011_032.pdf |
| 著者 | 上田 和弘| |
| 抄録 | ある時代のある特定の時期に書かれ発表されたさまざまな文学テクストをながめたばあい、ときにジャンルさえ越えて、そこに流行語のようにいくつかのある特徴的な語や表現が時を同じくして出現してくることがある。それはもちろん作家(詩人)から作家(詩人)へのなんらかの影響関係がそこにあったからだとまずは考えられよう。しかしこれは必ずしもたんに一方から他方への単方向的な影響というのではなく、作家(詩人)たちのあいだで、いくつかの条件があわさって、ほとんど同時発生的にある共通ないし類似の語や表現が生まれたり用いられたりすることもあったのではないか、また、あくまで個々の作品から遡及的にしか見いだされぬとしても、そうした共通ないし類似の語や表現を生みだすことを可能にした、ある時代のある特定の時期に成立していたと想定される表現可能態の言語空間がそこに潜在していたのではないか――本稿は、その空間をピエール・ブルデューの用語を借りて「文学場」の名で呼んで、20 世紀初頭における日本の近代詩と19 世紀中葉におけるフランスの近代詩をそうした「文学場」という観点からとらえなおす試みである。 |
| キーワード | 文学場 日本近代詩 室生犀星 北原白秋 斎藤茂吉 |
| 出版物タイトル | 大学教育研究紀要 |
| 発行日 | 2015-12-30 |
| 巻 | 11巻 |
| 開始ページ | 11 |
| 終了ページ | 32 |
| ISSN | 1881-5952 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005838011 |
| JaLCDOI | 10.18926/54532 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | "Romeo und Julia" auf der Opernbühne ― Von Gottfried Keller zu Frederic Delius ― |
| フルテキストURL | bhe_011_001_010.pdf |
| 著者 | 久保田 聡| |
| 抄録 | 互いの家同士の確執を知りながらも愛し合うことになってしまった男女の悲劇を描き出したシェイクスピアの作品のプロットが19 世紀リアリズム期の作家ゴットフリート・ケラーの『村のロメオとユリア』においてもそっくりのまま使い回されたわけでは決してない。現実を見つめるケラーのまなざしは悲劇に至る経緯と背景を丹念に追い求めているのである。しかしながらドイツにルーツを持つイギリス人作曲家フレデリック・ディーリアスがシェイクスピアではなくケラーの小説の方をオペラの題材に選んだ時、音楽家としての感性はリアリズム小説のプロットにさまざまな変更を施すことになる。 |
| キーワード | 確執 リアリズム 示導動機 「楽園」 夢 |
| 出版物タイトル | 大学教育研究紀要 |
| 発行日 | 2015-12-30 |
| 巻 | 11巻 |
| 開始ページ | 1 |
| 終了ページ | 10 |
| ISSN | 1881-5952 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005838010 |
| タイトル(別表記) | Die Intellektuelle und die ‘Bildung’ : Der Bildungsgedanke von Maruyama Masao |
|---|---|
| フルテキストURL | olj_66_1_001_088.pdf |
| 著者 | 西村 稔| |
| 出版物タイトル | 岡山大學法學會雜誌 |
| 発行日 | 2016-08-31 |
| 巻 | 66巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 1 |
| 終了ページ | 88 |
| ISSN | 0386-3050 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005838007 |
| 著者 | 三宅 新三| |
|---|---|
| 発行日 | 2015-12-25 |
| 出版物タイトル | 岡山大学文学部紀要 |
| 巻 | 64巻 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| JaLCDOI | 10.18926/okadai-bun-kiyou/54448 |
| 著者 | 堤 良一| |
|---|---|
| 発行日 | 2015-12-25 |
| 出版物タイトル | 岡山大学文学部紀要 |
| 巻 | 64巻 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| JaLCDOI | 10.18926/okadai-bun-kiyou/54446 |
| フルテキストURL | K0005386_abstract_review.pdf K0005386_fulltext.pdf K0005386_sumarry.pdf |
|---|---|
| 著者 | 呂 建輝| |
| 発行日 | 2016-03-25 |
| 資料タイプ | 学位論文 |
| 学位授与番号 | 甲第5386号 |
| 学位授与年月日 | 2016-03-25 |
| 学位・専攻分野 | 博士(文学) |
| 授与大学 | 岡山大学 |
| 言語 | 日本語 |
| JaLCDOI | 10.18926/bgeou/54226 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | Reexamining Situated Learning Theory |
| フルテキストURL | bgeou_161_001_009.pdf |
| 著者 | 平田 仁胤| |
| 抄録 | 本稿では,レイヴとウェンガーによって主張された状況的学習論に内在する問題を,その思想的源流に位置づけられるM.ハイデガーの著作『存在と時間』から指摘した。状況的学習論は実践共同体への正統的周辺参加こそが学習であると主張するが,それは同時に,共同体の意味連関に回収されてしまう頽落でもある。共同体において可視化される実践テクノロジーに馴染み,アイデンティティを獲得することが,そのまま当該実践共同体の自明視につながり,反省を困難にしてしまうのである。 |
| キーワード | ハイデガー 実践共同体 透明性 意味連関 頽落 |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院教育学研究科研究集録 |
| 発行日 | 2016-02-25 |
| 巻 | 161巻 |
| 開始ページ | 1 |
| 終了ページ | 9 |
| ISSN | 1883-2423 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005752925 |
| JaLCDOI | 10.18926/54204 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | The Acquisition of “noda” in an L1 Speaker of Japanese through informing the Semantic Network of “no” |
| フルテキストURL | hss_41_127_141.pdf |
| 著者 | 富岡 史子| |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要 |
| 発行日 | 2016-03-25 |
| 巻 | 41巻 |
| 開始ページ | 127 |
| 終了ページ | 141 |
| ISSN | 1881-1671 |
| 言語 | 日本語 |
| 著作権者 | Copyright © 2016 岡山大学大学院社会文化科学研究科 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005749820 |
| JaLCDOI | 10.18926/54203 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | Rechtliche Unterschiede von Franchisenehmern zwischen Japan und Deutschland |
| フルテキストURL | hss_41_109_125.pdf |
| 著者 | 知念 晃子| |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要 |
| 発行日 | 2016-03-25 |
| 巻 | 41巻 |
| 開始ページ | 109 |
| 終了ページ | 125 |
| ISSN | 1881-1671 |
| 言語 | 日本語 |
| 著作権者 | Copyright © 2016 岡山大学大学院社会文化科学研究科 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005749819 |
| JaLCDOI | 10.18926/OER/54145 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | The Meaning of the Second Law of Nature in Hobbes’s Leviathan |
| フルテキストURL | oer_047_2_081_093.pdf |
| 著者 | 新村 聡| |
| 出版物タイトル | 岡山大学経済学会雑誌 |
| 発行日 | 2016-02-23 |
| 巻 | 47巻 |
| 号 | 2号 |
| 開始ページ | 81 |
| 終了ページ | 93 |
| ISSN | 0386-3069 |
| 言語 | 日本語 |
| 著作権者 | Copyright © 2016 岡山大学経済学会 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005740485 |
| 著者 | Ishikawa, Atsushi| Tanaka, Takuo| |
|---|---|
| 発行日 | 2015 |
| 出版物タイトル | Scientific reports |
| 巻 | 5巻 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| タイトル(別表記) | Die Intellekutelle und die ‘Bildung’ : Der Bildungsgedanke von Maruyama Masao |
|---|---|
| フルテキストURL | olj_065_2_299_385.pdf |
| 著者 | 西村 稔| |
| 出版物タイトル | 岡山大學法學會雜誌 |
| 発行日 | 2015-12-25 |
| 巻 | 65巻 |
| 号 | 2号 |
| 開始ページ | 299 |
| 終了ページ | 385 |
| ISSN | 0386-3050 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005688920 |
| JaLCDOI | 10.18926/bgeou/53831 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | Principle of Epistemology for Physical Education and Sports Management Research (1) - Discussion for Phenomenological theory - |
| フルテキストURL | bgeou_160_059_068.pdf |
| 著者 | 高岡 敦史| |
| 抄録 | 体育・スポーツ経営学は,生活者の豊かな運動・スポーツ生活の実現に向けた体育・スポーツ経営体の経営を研究対象とし,生活者の運動・スポーツ生活や運動・スポーツ実践や,経営体における組織現象,経営当事者の行為や意識を認識対象としている。しかし,それらの諸現象は研究者のパラダイムや選択原理に依存した主観によって構成されるものと考えられる。では,当事者や研究者によって意味づけられ,主観の合意によって構成される間主観的な現象はどのようなものとして捉えうるだろうか。 本稿では,現象学やスポーツや他者との相互作用を媒介する身体,言語に関わる哲学的・現象学的知見に依拠して,生活者によるスポーツの構成,経営当事者によるスポーツの構成,経営当事者による生活者への<意味づけ>,生活者による経営当事者への<意味づけ>に関して議論し,それらを統合することによって,<スポーツ価値の協同構成としての体育・スポーツ経営現象>を提起した。この提起は,今後の,体育・スポーツ経営学認識論の布石となる。 |
| キーワード | 体育・スポーツ経営学 認識論 現象論 意味づけ |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院教育学研究科研究集録 |
| 発行日 | 2015-11-27 |
| 巻 | 160巻 |
| 開始ページ | 59 |
| 終了ページ | 68 |
| ISSN | 1883-2423 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120005677833 |
| 著者 | 萩原 直幸| |
|---|---|
| 発行日 | 2003-03-15 |
| 出版物タイトル | ヨーロッパ言語文化研究 |
| 巻 | 22巻 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |