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| 著者 | 加藤 暢| |
|---|---|
| 発行日 | 1997-09-30 |
| 出版物タイトル | |
| 資料タイプ | 学位論文 |
| 著者 | 山根木 加名子| |
|---|---|
| 発行日 | 1996-03-25 |
| 出版物タイトル | |
| 資料タイプ | 学位論文 |
| 著者 | 山本 忠郷| |
|---|---|
| 発行日 | 1959-03-31 |
| 出版物タイトル | |
| 資料タイプ | 学位論文 |
| JaLCDOI | 10.18926/bgeou/1632 |
|---|---|
| フルテキストURL | 048_0197_0206.pdf |
| 著者 | 稲田 利徳| |
| 抄録 | 家集を編纂する目的には、我が歌道の営みを集大成して、後世に残すため、勅撰集などの撰歌資料として提供するため、あるいは、自己の詠歌理念に即した歌風を宣揚するためなど、種々なものがあろう。近年蒲生郡の豪族、蒲生智閑の家集は、約八五〇首を収録し、勅撰集的な部立構成をもつ、よく整理されたものであるが、その詞書を吟味してみると、不審なものが少なからず散見されるなど、奇妙な性格の家集であることが明らかになる。これを後人の作為とみて等閑視するのも見識かもしれないが、なぜ、このような家集を編んだのかという立場からみると、これはこれで考察に値する問題であるし、また、地方武士と文芸のありかたをさぐるためにも意味をもつだろう。こういった目標を念頭にしながら、以下、「蒲生智閑集」(以下「智閑集」と略称)の諸本や成立の問題に思いをいたし、その性格の一端を浮き彫りにしてみたい。 |
| 出版物タイトル | 岡山大学教育学部研究集録 |
| 発行日 | 1978 |
| 巻 | 48巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 197 |
| 終了ページ | 206 |
| ISSN | 0471-4008 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002305905 |
| JaLCDOI | 10.18926/bgeou/1613 |
|---|---|
| フルテキストURL | 047_0210_0220.pdf |
| 著者 | 稲田 利徳| |
| 抄録 | 前編においては、「徒然草」一三九段の「家にありたき木は」の段を中心に、「枕草子」「玉勝間」との比較を通して、兼好の草木嗜好に触れてきた。この後編では「徒然草」の諸段に表われる草木のいくつかをとりあげ、各々の草木が、章段の構想のなかで、どんな意味を与えられているか、試見を述べたい。その際、特に問題となるのは、単に”木や草”などと漠然と表記されたものでなく、具体的な草木の種類を明示したものである。一三九段のほかに「徒然草」では、どんな種類の草木があるのか、少し思い浮かべてゆくと、柑子の木(一一段)、棟の木(四一段)、榎の木(四五段)、くちなし(八七段)、めなもみ草、(九六段)、桂の木(一〇四段)、杉・椎紫・白樫(一三七段)、呉竹・河竹(二〇〇段)などはじめ、他にもいくつかの草木が散見される。が、構想とかかわるもので重要なのは、説話的、物語的な章段のもので、そのうちで、ここでは、柑子の木、棟の木、くちなし、桂の木の四種を検討する。なお、この論の基底には、先に公表した「『徒然草』の虚構性」で示した考えが流れているので、あわせて参照願えば幸甚である。 |
| 出版物タイトル | 岡山大学教育学部研究集録 |
| 発行日 | 1977 |
| 巻 | 47巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 210 |
| 終了ページ | 220 |
| ISSN | 0471-4008 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002306002 |
| JaLCDOI | 10.18926/bgeou/1592 |
|---|---|
| フルテキストURL | 046_0182_0192.pdf |
| 著者 | 稲田 利徳| |
| 抄録 | この論考は大きく二つの問題の考察を企図する。二つの問題は、ある意味において、互に乖離しているので、本来、別個に処理すべき性格のものかもしれない。即ち、一つは「徒然草」三九段の「家にありたき木は」の段を中心に兼好の草木に対する嗜好を吟味することであり、他の一つは、「徒然草」の諸段にあらわれる草木を構想とのかかわりから、筆者の表現意図とからめて論及せんとするものである。前者が兼好の趣味や思想と関連するのに対し、後者は「徒然草」各段の構想や虚構性など-いわば創作態度とかかわりをもってくる点、互に次元を異にするといえる。しかし、二つの問題は、草木を論ずることでは接点をもっていて、互に関連を有する面もあるので、ここに、前編、後編として一括して考察してゆきたい。 |
| 出版物タイトル | 岡山大学教育学部研究集録 |
| 発行日 | 1977 |
| 巻 | 46巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 182 |
| 終了ページ | 192 |
| ISSN | 0471-4008 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002306072 |
| JaLCDOI | 10.18926/bgeou/1317 |
|---|---|
| フルテキストURL | 034_0201_0219.pdf |
| 著者 | 稲田 利徳| |
| 抄録 | 徒前の文献調査の成果をもとにして、ここに正徹の詳細な年譜を作成する。新編、新研究などといった表題は、私の好みとするところではないが、あえて「新編」としてのは、すでに公表されている、藤原隆景氏の「正徹年譜」(国語と国文学昭6.7)と混同しないためもある。勿論、そういった形式的な問題だけでなく、「新編」としたことには、内質的にも「新」の意味合いをこめたつもりであるが、それは、次のような諸点においてである。藤原隆景氏の年譜は、長年、「草根集」を読みこんでこられただけあって、適切な処理、判断がなされているが、今から約四十年前に作成されたものである。その後「永享五年正徹詠草」(天理図書館蔵)「永享九年正徹詠草」(大東急記念文庫蔵)「月草」(陽明文庫蔵)「松下集」(国会図書館蔵)など、正徹に関連する新資料が相次いで発見されたので、年譜も、相当に拡充できる段階にいたっている。また、藤原氏は、専ら、丹鶴叢書本「草根集」に依拠されていたが、「新編」では、諸本の異文も参照した。これによって、丹鶴本の欠脱本文や誤写などが相当訂正することができる。例えば、丹鶴本では、永享四年に亡父三十回忌を行ったと指示するが、これは諸本の三十三回忌が正しく、父の死は、正徹の二十三歳ではなく、二十歳の時になるなど、その著しい例の一つである。他方、正徹の自筆本や転写奥書などで年時の判明するものや推定可能なものも追加し、「草根集」の詞書では、官職名のみで掲出されている人物も、できるだけ実名をもって記述するようにし、全体に、網羅的な年譜作成を志向した。今回は、紙面の都合で、生誕より宝徳二年まで扱い、次号(下)をもって完結する予定だある。 |
| 出版物タイトル | 岡山大学教育学部研究集録 |
| 発行日 | 1972 |
| 巻 | 34巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 201 |
| 終了ページ | 219 |
| ISSN | 0471-4008 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002305966 |
| JaLCDOI | 10.18926/1304 |
|---|---|
| フルテキストURL | 15_0117_0130.pdf |
| 著者 | 江原 由美子| |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院文化科学研究科紀要 |
| 発行日 | 2003-03 |
| 巻 | 15巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 117 |
| 終了ページ | 130 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002306108 |
| JaLCDOI | 10.18926/1247 |
|---|---|
| フルテキストURL | 13_0237_0255.pdf |
| 著者 | 内田 豊士| |
| 抄録 | 方向があきらかにしようとするのは明治初期岡山県南部地域における農民層の分解状況であるが、最終的には農村工業の発生過程の解明を目指している。そのため本稿では、明治10年以降に麦稈真田紐や花筵といった製造業の展開をみせる地域の階層分化をあきらかにしようとしている。農村工業の分児島群藤析の前に農民層の分解を解明しようというのは次のような理由からである。農民層分解という語は本来的には「農業における商品生産の進行につれてあらわれる独立自営農民の両極文化-資本家と賃労働者への-を意味している」のであって、こうした経緯を経て農村工業が登場してくるのである。こうした農村工業は本来「封建制解体から、産業革命にいたる時期の中で、その機軸をなすもの」なのである。しかし、周知のように日本における資本の原始的蓄積過程は政府主導によるものであり、「独立自営農民の形成なしに封建小農民がいきなり他律的に商品経済に巻き込まれてゆき、共同体が解体せしめられぬままに、国家権力とそれに結びつく商人・地主層主導の下に資本=賃労働関係が創出される類型」なのである。こうした状況の下に誕生した麦稈真田紐や花筵といった製造業であるが、山田盛太郎氏の言葉をかりれば「特殊的な『惨苦の茅屋』たる零細農生計補充的副業」と評価されている。つまり農業経営を保管する農家副業とされているわけである。このためこうした製造業は日本資本主義発達史研究の対象とされることはなく、産地などの地誌等で取扱われる程度にとどまるとともに、その意義を積極的に問われることはなかったのである。したがって、生産開始当初からこうした製造業が「零細農生計補充的副業」であったのかどうか、或いは本来の農村工業としての発展の可能性を持っていたのではないかという点については、十分な検討が行われてきたとはいいがたい状況にある。そのため本稿では、先に述べた製造業がどのような農民層の分解状況の下で発生するのか、その分解の始点となる明治初期の状況をまずあきらかにしておきたい。その後稿を改めて松方デフレとその後の各製造業の発生状況を解明する予定である。本稿では、まず始めに岡山県浅口群乙島村の近世紀から明治初期にいたる農民層の分解を解明する。この地域は明治20年代に麦稈真田紐生産が展開する地域である。岡山県南部地域には他にも花筵や畳表といった製造業があり、それぞれの産地である児島郡藤戸村、都宇群下庄村および麦稈真田紐産地としてもう1箇所下道群陶村を取り上げてその分解状況を確認しておくことにする。 |
| キーワード | 岡山県南部 零細農生計補充的副業 |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院文化科学研究科紀要 |
| 発行日 | 2002-03 |
| 巻 | 13巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 237 |
| 終了ページ | 255 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002306071 |
| 著者 | 桝田 正治| 古澤 氏由児| |
|---|---|
| 発行日 | 1991 |
| 出版物タイトル | 岡山大学農学部学術報告 |
| 巻 | 78巻 |
| 号 | 1号 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| 著者 | 遠山 賢| 河本 泰生| 佐藤 勝紀| 猪 貴義| |
|---|---|
| 発行日 | 1984 |
| 出版物タイトル | 岡山大学農学部学術報告 |
| 巻 | 64巻 |
| 号 | 1号 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| 著者 | 佐藤 豊信| |
|---|---|
| 発行日 | 1981 |
| 出版物タイトル | 岡山大学農学部学術報告 |
| 巻 | 58巻 |
| 号 | 1号 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| 著者 | 羽渕 統次郎| |
|---|---|
| 発行日 | 1972 |
| 出版物タイトル | 岡山大学農学部学術報告 |
| 巻 | 39巻 |
| 号 | 1号 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| 著者 | 小野 清六| |
|---|---|
| 発行日 | 1970 |
| 出版物タイトル | 岡山大学農学部学術報告 |
| 巻 | 35巻 |
| 号 | 1号 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| 著者 | 中村 怜之輔| 有馬 博| |
|---|---|
| 発行日 | 1969 |
| 出版物タイトル | 岡山大学農学部学術報告 |
| 巻 | 34巻 |
| 号 | 1号 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| 著者 | 目瀬 守男| |
|---|---|
| 発行日 | 1969 |
| 出版物タイトル | 岡山大学農学部学術報告 |
| 巻 | 34巻 |
| 号 | 1号 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |
| 著者 | 池田 長守| 宇渡 清六| 岸本 修| |
|---|---|
| 発行日 | 1956 |
| 出版物タイトル | 岡山大学農学部学術報告 |
| 巻 | 8巻 |
| 号 | 1号 |
| 資料タイプ | 紀要論文 |