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検索結果 1443 件

JaLCDOI 10.18926/bgeou/9176
フルテキストURL 064_0077_0087.pdf
著者 柳原 正文|
抄録 反応時間パラダイムによる認知情報処理過程の分析を通じて,P300の中枢発現機序を考察した。文字刺激を用いて,刺激媒介系の異なる四つの異同判断課題を与えた結果,刺激対の照合決定過程の発動に呼応してP300が出現することが明らかにされた。P300の頂点潜時が反応時間よりも20~30msec先行する事実を指摘し,最近の研究成績との関連を論じた。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1983
64巻
1号
開始ページ 77
終了ページ 87
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311164
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9166
フルテキストURL 063_0231_0242.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 南北朝期に為世門の四天王として歌壇に活躍した歌僧頓阿には正・続の「草庵和歌集」なる家集が現存し、そこには約二〇〇〇首に近い和歌が収録されている。頓阿の歌は、この家集のほかに、百首歌が幾種類かあり、また、勅撰集、私撰集、歌合などにも散見される。斎藤彰氏は、すでに頓阿の詠歌資料の中で信頼できるものを整理し、二一四六首と一〇一句を集計されているが、本稿では、そこで触れられなかった、頓阿の自筆の懐紙、短冊などを中心に、これまで収集したものを紹介、検討してみたい。(但し、後述するもののうち、「高野山金剛三昧院奉納短冊和歌」と大山祇神社蔵「詠三首和歌」のふたつは、斎藤氏も集計に加えられている。)
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1983
63巻
1号
開始ページ 231
終了ページ 242
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311130
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9146
フルテキストURL 062_0213_0225.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「草庵和歌集」は、成立以後、当代及び室町時代を通して二条派の歌人達を中心に広く享受されてきた。とりわけ江戸時代になると、香川宣阿の「草庵和歌集蒙求諺解」、桜井元茂の「草庵集難註」、本居宣長の「草庵集玉箒」などの注釈書が板本として出版されたほか、他にも多くの注釈書類が写本で現存しており、その享受の広さ深さが窺える。また、歌論書や聞書類の中でも、頻繁に頓阿の和歌のことが話題になっており、中世・近世の堂上派歌人に与えた「草庵集」の影響がいかに大きかったかが痛感される。ここでは、そういった享受の様相の一端を窺うために、江戸期の歌論聞書である「詞林拾葉」(磯の浪)をとりあげてみたい。享受の様相を整理、鮮明にする事は、同時に「草庵集」の諸本の問題や頓阿の和歌の特質に触れることにもなると考えるからである。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1983
62巻
1号
開始ページ 13
終了ページ 25
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311119
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9130
フルテキストURL 061_0111_0126.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 慶運は為世門の和歌四天王と称され、頓阿・浄弁・兼好などとともに、南北朝に活躍した歌僧である。二条良基はその著「近来風體」の中で「其比は頓慶兼三人何も〱も上手とはいはれし也。(中略)慶運はたけを好、物さびてちと古體にかゝりてすがた心はたらきて、みゝにたつ様に侍し也。爲定大納言は殊の外に慶運をほめられき。」(歌学大系本)と評しており、無視できない歌人である。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1982
61巻
1号
開始ページ 11
終了ページ 26
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311134
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9120
フルテキストURL 060_0413_0427.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 「徒然草」の著者に自撰家集のあることは広く知られているが、「徒然草」に比較してはるかに研究者の関心が低くて、関連論文も微々たるものである。しかし、「兼好自撰家集」を「徒然草」の世界を念頭において読むと、兼好の苦悩や本音が吐露されていて実に興味深い。その味は、同じ和歌四天王の頓阿や慶運の和歌とは違い、詞書を含めて読むと、しみじみと彼の人生性に触れることができるところにある。その点、「兼好自撰家集」は「徒然草」理解の補助的な資料にとどまるものでなく、一人の人間の心情の軌跡を示すものとしての位置を与えられてよい。ところで、いざ秀歌を選ぶとなると、特別にこれこそはと目を引くものは少ない。そこで、ここでは詞書を含めて味わい深いものを選んで評釈を行ってみたい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1982
60巻
1号
開始ページ 13
終了ページ 27
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311120
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9082
フルテキストURL 059_0267_0276.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「続草庵集」から秀歌を抄出して評釈を行いたい。評釈の方法は、本誌に発表した「『草庵集』秀歌評釈」(上・下)(第五十七号)と同じである。注釈書としては「続草庵集蒙求諺解」(五巻)(諺解と略称)と「続草庵集玉箒」(三巻)(玉箒と略称)を参考にする。また、本文は「私家集大成中世Ⅲ」所収の書陵部本(五〇一・二四九)を底本とし、それに承応版本(承応本)、島原松平文庫本(松平本)、架蔵本(架本)の三本をもって校合する。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1982
59巻
1号
開始ページ 267
終了ページ 276
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311092
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9043
フルテキストURL 058_0204_0216.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「草庵集」から、秀歌を抄出して評釈を行いたい。「草庵集」は今日ではほとんど顧みられないが、南北朝期、室町時代、江戸時代を通して、二条派歌風を代表とする歌集として、非常に広い階層の人々に享受されてきた。それだけにいくつかの注釈書も刊行されているが、ここでは香川宣阿の「草庵集蒙求諺解」(正続二〇巻)(諺解と略称)と、それを批判した本居宣長の「草庵集玉箒」(正続一〇巻)(玉箒と略称)を参考にする。「草庵集」の歌は、平易で解釈を必要としないと思えるものが多いが、仔細にみると、彼なりに伝統をおさえたうえで、さらに新味をだそうと苦心しているところがある。ここでは、その点にも着目して評釈してゆきたい。また、「草庵集」の本文は、書陵部本(511-11)を底本にした『私家集大成中世Ⅱ』に依拠し、さらに、承応版本(承応本と略称)、島原松平文庫本(松平本と略称)、内閣文庫本(内閣本と略称)との本文校異も行いたい。本文には私意に濁点を施し、「私家集大成」の番号を歌の下に記す。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1981
58巻
1号
開始ページ 204
終了ページ 216
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311054
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9027
フルテキストURL 057_0228_0242.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「草庵集」から、秀歌を抄出して評釈を行いたい。「草庵集」は今日ではほとんど顧みられないが、南北朝期、室町時代、江戸時代を通して、二条派歌風を代表とする歌集として、非常に広い階層の人々に享受されてきた。それだけにいくつかの注釈書も刊行されているが、ここでは香川宣阿の「草庵集蒙求諺解」(正続二〇巻)(諺解と略称)と、それを批判した本居宣長の「草庵集玉箒」(正続一〇巻)(玉箒と略称)を参考にする。「草庵集」の歌は、平易で解釈を必要としないと思えるものが多いが、仔細にみると、彼なりに伝統をおさえたうえで、さらに新味をだそうと苦心しているところがある。ここでは、その点にも着目して評釈してゆきたい。また、「草庵集」の本文は、書陵部本(511-11)を底本にした『私家集大成中世Ⅱ』に依拠し、さらに、承応版本(承応本と略称)、島原松平文庫本(松平本と略称)、内閣文庫本(内閣本と略称)との本文校異も行いたい。本文には私意に濁点を施し、「私家集大成」の番号を歌の下に記す。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1981
57巻
1号
開始ページ 228
終了ページ 242
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311066
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9002
フルテキストURL 056_0288_0298.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 正徹の歌話を筆録した「正徹物語」には、所々に彼自身の和歌が引用されており、なかには自注を施しているものもある。その引用歌は、特に秀歌として取り出してきたというより、前後の歌話の続きがらから、具体的な詠歌として引用されることが多い。だから、特に自讃歌だけを掲載したわけではないであろうが、引用にあたっては、自作の中で、技巧や表現や発想などに一角のものをとりあげている傾向が窺える。従って「正徹物語」に掲載された正徹の歌を評釈することは、同時に彼自身の口を通して、その詠歌理念などを察知する手掛りを得ることにもなろう。「草根集」の歌でなく、あえて「正徹物語」の歌の方に照明を当てて問題視するのは、かかる意味合いもあってのことである。「正徹物語」は、日本古典文学大系の『歌論集 能楽論集』に頭注を施されたものがあるが、そこには誤謬や不可解な解釈も少なくない。正徹の和歌の世界の一端に触れるべく、以下、古典文学大系本を底本にして、一首ごとに評釈を行う。なお、幾音か、拙著『正徹の研究中世歌人研究』の「秀歌三十首評釈」と重なるものがあることを、あらかじめ諒承願いたい。出典の明らかものは出所を示して、本文校異を行い、出典未詳のものは「正徹物語」諸本の間での校異を示す。歌の下の数字は古典文学大系の段落項目数を、〔出典〕の項の数字は『私家集大成』所収「草根集」の歌番号を示す。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1981
56巻
1号
開始ページ 288
終了ページ 298
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311176
JaLCDOI 10.18926/bgeou/8971
フルテキストURL 055_0203_0212.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 正徹の歌話を筆録した「正徹物語」には、所々に彼自身の和歌が引用されており、なかには自注を施しているものもある。その引用歌は、特に秀歌として取り出してきたというより、前後の歌話の続きがらから、具体的な詠歌として引用されることが多い。だから、特に自讃歌だけを掲載したわけではないであろうが、引用にあたっては、自作の中で、技巧や表現や発想などに一角のものをとりあげている傾向が窺える。従って「正徹物語」に掲載された正徹の歌を評釈することは、同時に彼自身の口を通して、その詠歌理念などを察知する手掛りを得ることにもなろう。「草根集」の歌でなく、あえて「正徹物語」の歌の方に照明を当てて問題視するのは、かかる意味合いもあってのことである。「正徹物語」は、日本古典文学大系の『歌論集 能楽論集』に頭注を施されたものがあるが、そこには誤謬や不可解な解釈も少なくない。正徹の和歌の世界の一端に触れるべく、以下、古典文学大系本を底本にして、一首ごとに評釈を行う。なお、幾音か、拙著『正徹の研究中世歌人研究』の「秀歌三十首評釈」と重なるものがあることを、あらかじめ諒承願いたい。出典の明らかものは出所を示して、本文校異を行い、出典未詳のものは「正徹物語」諸本の間での校異を示す。歌の下の数字は古典文学大系の段落項目数を、〔出典〕の項の数字は『私家集大成』所収「草根集」の歌番号を示す。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1980
55巻
1号
開始ページ 203
終了ページ 212
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306910
JaLCDOI 10.18926/bgeou/8945
フルテキストURL 054_0365_0374.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 正徹の歌話を筆録した「正徹物語」には、所々に彼自身の和歌が引用されており、なかには自注を施しているものもある。その引用歌は、特に秀歌として取り出してきたというより、前後の歌話の続きがらから、具体的な詠歌として引用されることが多い。だから、特に自讃歌だけを掲載したわけではないであろうが、引用にあたっては、自作の中で、技巧や表現や発想などに一角のものをとりあげている傾向が窺える。従って「正徹物語」に掲載された正徹の歌を評釈することは、同時に彼自身の口を通して、その詠歌理念などを察知する手掛りを得ることにもなろう。「草根集」の歌でなく、あえて「正徹物語」の歌の方に照明を当てて問題視するのは、かかる意味合いもあってのことである。「正徹物語」は、日本古典文学大系の『歌論集 能楽論集』に頭注を施されたものがあるが、そこには誤謬や不可解な解釈も少なくない。正徹の和歌の世界の一端に触れるべく、以下、古典文学大系本を底本にして、一首ごとに評釈を行う。なお、幾音か、拙著『正徹の研究中世歌人研究』の「秀歌三十首評釈」と重なるものがあることを、あらかじめ諒承願いたい。出典の明らかものは出所を示して、本文校異を行い、出典未詳のものは「正徹物語」諸本の間での校異を示す。歌の下の数字は古典文学大系の段落項目数を、〔出典〕の項の数字は『私家集大成』所収「草根集」の歌番号を示す。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1980
54巻
1号
開始ページ 365
終了ページ 374
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306907
JaLCDOI 10.18926/bgeou/8903
フルテキストURL 053_0220_0226.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 近江蒲生郡の豪族、蒲生智閑の家集の成立と性格に関しては、先に拙稿を公表した。そこでは、(1)現在諸本五本の解題、(2)『大日本史料九編の五』と『思文閣古書資料目録』掲載の智閑自筆の短冊や懐紙と家集との関係、(3)家集の詞書の吟味、(4)家集の性格などについて言及してみた。その結果、現存諸本には異文と称すべきものはなく、皆同一系統なること、自筆懐紙と家集との間に一致歌がみいだされること、従来、詞書には不審なものが多いとされていたが、案外、信憑性のあること、家集には智閑への権威付けと、彼の神仏への深い信仰態度を顕彰せんとする面のあることなど実証できた。拙稿公表以後、数人の方から、私がとりあげた以外の、智閑の短冊や懐紙の存在を教示いただいたが、その中で、智閑の自筆詠草を九枚も集成した貴重な新出資料一軸が発見されたので、本稿ではその軸物を翻刻、紹介し、その後に家集との関係に触れた若干の解説を加えたい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1980
53巻
1号
開始ページ 220
終了ページ 226
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306909
JaLCDOI 10.18926/bgeou/8879
フルテキストURL 052_0445_0456.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 前稿は「草庵集」の撰歌資料の考察として、「聖護院五十首」をとりあげたが、本稿はそれに続くものである。撰歌資料の考究の意義や目的に関しては、すでに前稿で述べたので、ここでは省略する。今回、対象とするものは「花十首寄書」と「建武二年内裏千首」であるが、ともに正和期、建武期の二条派歌壇における頓阿の活躍を示す和歌資料である。前者は、その歌会の全貎を示す資料が現存するが、後者は全作品が残らず、撰集類からの断片的な資料収拾によって、およその背景を知るほかない。その点、考察方法は異なるが、「草庵集」編纂に際して、共に重視した資料と考えられるので、ここで一括して処理したい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1979
52巻
1号
開始ページ 445
終了ページ 456
ISSN 0471-4008
関連URL http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/1787/
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306903
JaLCDOI 10.18926/bgeou/8877
フルテキストURL 052_0436_0444.pdf
著者 森 熊男|
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1979
52巻
1号
開始ページ 436
終了ページ 444
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306901
著者 加賀 勝|
発行日 2004-09-30
出版物タイトル
資料タイプ 学位論文
著者 入江 隆|
発行日 1993-03-28
出版物タイトル
資料タイプ 学位論文
著者 石川 彰彦|
発行日 1994-03-25
出版物タイトル
資料タイプ 学位論文
著者 柳原 正文|
発行日 1995-09-30
出版物タイトル
資料タイプ 学位論文