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検索結果 994 件

JaLCDOI 10.18926/bgeou/1575
フルテキストURL 045_0165_0174.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 本誌四二号には、韻文指導法の序説として、国語教室や現代社会における韻文の享受状況、韻文と散文の相違点、韻文指導の目的と意識など、いわば韻文の本質や享受状況の周囲をさぐってきた。今回はそれを前提に、特に近代詩の指導法を具体的に作品に即して検討してみる。詩を教導することに関して、次のような重要な発言がある。詩を教へることが一體、可能か?きはめて疑問に思はれます。できるだけ教へないことこそ、最良の教へ方だと、逆説を弄したくなります。少くともすぐれた詩作品における言葉やイメエジは多義性にみち、限定しがたいものとして揺れ動いてゐるのであり、それが明確な概念の言葉に置き換へられ解襗されることが可能となつたとき、その作品はすでに死ぬのではないでせうか。教へるといふことはしばしば屍體解剖になりがちです。-何よりも大切なのは、讀むこと、くりかへし自ら讀むこと、書くこととほとんどひとしく讀むといふ營みもまた、創造的なものであつて、讀者の主體的把握・感受においてはじめて、詩は成立するのです。一方、正しいよみ、正しい解襗と称するものを外から教へることによつて、得られるのは、詩の死でしかありません。(那珂太郎氏「ノオト断片」傍点那珂氏)詩の本質を極限的なところに想定して言及しているこの発言は、極論的な匂いもするが、詩を教導することの問題点を鋭くついている。ここで留意すべきことは、詩の言葉・イメージが多義性にみちていること、および、詩はそれ自体として客観的に存在しているのではなく、読者の主体的な読みによって、はじめて体現するという二点である。この二点を究極まで追いつめると、正しい解釈などありえないことになり、そこに詩を教えることの不可能性がみえてくる。詩の鑑賞とは、あくまで全体をまるごと味うことで、客観的に分析することではない。従って、ここで試みんとする指導法とは、鑑賞の「手続き」の指示であり、詩の本能の把握方法を思索するものではないことを、まずもって明らかにいしておきたい。以下、先の発言にも留意しながら、現行教科書の近代詩教材の傾向と問題点、詩の特質に応じた指導法などに触れてみる。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1976
45巻
1号
開始ページ 165
終了ページ 174
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002305959
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1574
フルテキストURL 045_0153_0164.pdf
著者 森 熊男|
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1976
45巻
1号
開始ページ 153
終了ページ 164
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002305945
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1556
フルテキストURL 044_0131_0142.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 本誌第四十三号では、「共感覚的表現歌の発生と展開(上)」と題して、共感覚的表現の結合ケースの検討にはじまり、万葉時代から古今時代を経て新古今時代に到る和歌にあらわれた共感覚的表現歌の発生と、その後の展開の様相をたどってきた。その結果、古代及び平安朝の和歌には、類型的な共感覚が若干散見されるだけであるが、千載を経て新古今頃になると、類型的なものが数を増すだけでなく、それを逸脱した特異なケースの表現も発生してくることが明らかになった。これは、一つに、新古今歌風の生成とも関連していること、漢詩文などの影響にもよることなどが跡付けられた。最後に、歌合の判詞に着目して、この表現に対し、当時の歌人達がどのような反応を示したかも検討した。本論考では、以上の調査結果を受け、さらに新古今以降、この表現がどのように受継され、また、どんな変化をきたしてゆくかを、室町末期頃までの和歌資料で分析してゆきたい。最後に、共感覚的表現の和歌における表現効果などに関しても、私見を述べることにする。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1976
44巻
1号
開始ページ 131
終了ページ 142
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306019
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1541
フルテキストURL 043_0107_0120.pdf
著者 稲田 利徳|
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1975
43巻
1号
開始ページ 107
終了ページ 120
ISSN 0471-4008
関連URL http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/1556/
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306066
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1530
フルテキストURL 042_0083_0092.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 本論の目標は、中学校、高等学校の国語教科書に教材化されている韻文の指導法を探究することにある。韻文の範疇には、普通、詩、和歌、俳句、連歌、歌謡などが入ってくるが、これらは、表現形式でも表現手法においても、各々に独自性を有するジャンルであるため、一括して処理するのは、いたずらに混乱を招く恐れが多分にある。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1975
42巻
1号
開始ページ 83
終了ページ 92
ISSN 0471-4008
関連URL http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/1575/ http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/1707/
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002305933
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1521
フルテキストURL 041_0221_0232.pdf
著者 森 熊男|
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1975
41巻
1号
開始ページ 221
終了ページ 232
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002305931
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1520
フルテキストURL 041_0207_0220.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 本誌第三十七号に「日次系草根集伝本考(上)」と題して、伝本研究の現状や伝本分類の目的、方法を論じ、巻別に即って、巻一、二に検討を加えた。続いて、三十八号の(中)では、巻三から巻七までを、四十号では、巻八から巻十二までの各巻に関して、留意箇所に着目しながら、定本の復元を述べてきた。本稿は、既発表のこれら三篇を受けて、残された巻十三から巻十五までに検討を加え、最後に諸本の系統分類や各系統本の性格などを述べてゆく。本稿をもって、長きにわたった日次系草根集の伝本の考察を、一応終えたい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1975
41巻
1号
開始ページ 207
終了ページ 220
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306103
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1504
フルテキストURL 040_0146_0156.pdf
著者 森 熊男|
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1974
40巻
1号
開始ページ 146
終了ページ 156
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306045
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1503
フルテキストURL 040_0131_0144.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 本誌第三十七号には、「日次系草根集伝本考(上)」と題して、(一)伝本研究の状況、(二)伝本の概要、(三)伝本分類の目的と方法の各論を展開し、続いて巻別による分類方針にそって、巻一、二に検討を加えた。また、同じく本誌第三十八号では「日次系草根集伝本考(中)」として、巻三から巻七までの諸巻の調査結果を報告しておいた。本稿も、先の(上)(中)の論稿を継承し、巻八から巻十二までの、諸本の留意箇所に着目して、各伝本の性格を検討してゆく。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1974
40巻
1号
開始ページ 131
終了ページ 144
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002305997
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1477
フルテキストURL 038_0122_0142.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 本誌第三十七号掲載の拙稿においては、「草根集」の、(一)伝本研究の状況、(二)伝本の概要、(三)伝本分類の目的と方法、の各項目にそって論及し、続いて巻別による分類方針のもとで、巻一・二に検討を加えた。本稿も前稿を継承し、以下巻三から巻七まで諸本を通覧し、その留意箇所に着目して、各伝本の性格を追究した。なお、前稿脱稿後、田中新一氏は、さらに「『草根集』秋本系欠巻についての続攷」(愛知県教育大学研究報告第22輯・昭48・2)なる論考を公表されたので、これを(へ)論文として援用してゆく。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1974
38巻
1号
開始ページ 122
終了ページ 142
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306092
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1447
フルテキストURL 037_0131_0148.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 「草根集」の諸本は、先述したように、大きく、日次系と類題系に分類できる。類題本に関しては、別稿を用意する予定なので、ここでは、その諸本の流布状況を察知するために、管見できたものを中心に、その所在と冊数のみを列挙しておく。一応、片山氏の二十二本は、すべて実見できたので、まず、それを、氏の分類によって掲載しておきたい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1973
37巻
1号
開始ページ 131
終了ページ 148
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306097
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1343
フルテキストURL 035_0201_0221.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 これは、すでに公表した「新編正徹年譜(上)」(岡山大学教育学部研究集録、三十四号)の続編である。(上)では、正徹の生誕から宝徳二年までを収めたので、ここでは、宝徳三年から、死没の長禄三年まで掲載し、一応、完結する。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1973
35巻
1号
開始ページ 201
終了ページ 221
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002306007
JaLCDOI 10.18926/bgeou/1317
フルテキストURL 034_0201_0219.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 徒前の文献調査の成果をもとにして、ここに正徹の詳細な年譜を作成する。新編、新研究などといった表題は、私の好みとするところではないが、あえて「新編」としてのは、すでに公表されている、藤原隆景氏の「正徹年譜」(国語と国文学昭6.7)と混同しないためもある。勿論、そういった形式的な問題だけでなく、「新編」としたことには、内質的にも「新」の意味合いをこめたつもりであるが、それは、次のような諸点においてである。藤原隆景氏の年譜は、長年、「草根集」を読みこんでこられただけあって、適切な処理、判断がなされているが、今から約四十年前に作成されたものである。その後「永享五年正徹詠草」(天理図書館蔵)「永享九年正徹詠草」(大東急記念文庫蔵)「月草」(陽明文庫蔵)「松下集」(国会図書館蔵)など、正徹に関連する新資料が相次いで発見されたので、年譜も、相当に拡充できる段階にいたっている。また、藤原氏は、専ら、丹鶴叢書本「草根集」に依拠されていたが、「新編」では、諸本の異文も参照した。これによって、丹鶴本の欠脱本文や誤写などが相当訂正することができる。例えば、丹鶴本では、永享四年に亡父三十回忌を行ったと指示するが、これは諸本の三十三回忌が正しく、父の死は、正徹の二十三歳ではなく、二十歳の時になるなど、その著しい例の一つである。他方、正徹の自筆本や転写奥書などで年時の判明するものや推定可能なものも追加し、「草根集」の詞書では、官職名のみで掲出されている人物も、できるだけ実名をもって記述するようにし、全体に、網羅的な年譜作成を志向した。今回は、紙面の都合で、生誕より宝徳二年まで扱い、次号(下)をもって完結する予定だある。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1972
34巻
1号
開始ページ 201
終了ページ 219
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002305966
フルテキストURL 033_0301_0314.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 この稿の目標は、藤川題という限定されたなかで、他の歌人との比較を通して、正徹の詠歌手法の特色を把握することにあったため、いきおい、相対的な見解になった。しかし、相対的ということは、より具体的見解として重要な示唆を与えるものと思う。「藤川題百首」には、述懐性や名所歌枕の方面の分析も必要であるが、すべて将来の課題である。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1972
33巻
1号
開始ページ 301
終了ページ 314
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002305967