本論ではPaul AusterとWilliam Gassの詩人たちを取り上げることから始める。なぜ彼らは詩作に行き詰まったのか、そして言葉を回復したか否かを考察することによって、始原的なことばとはどういうものかが明らかにある。それを契機に、西洋と東洋の思想・思惟における一つの共通点が見えてくる。「存在はコトバである」という空海の根本的思想や六大説との比較に光が当る。ところで、エロティシズムの発現容態・様相を文化的に規定するのが欲望であろう。欲望を剥奪されたエロスはより本源的なもの、すなわち純粋な欲求であると言ってよい。禅が所与の言語の呪力を剥ぎ取り、そこに居座る分別の識や自我をたたき出し、ありのままの存在としての自分を引き出すように、欲望を剥奪されると明らかになる本源的なエロスあるいは原エロティシズムとでも言うべきものを論じたい。この意味でのエロス/エロティシズムという概念を再考すれば、ここにも西洋と東洋とに共通の思惟が確認されるのである。