本論は,阿部七五三吉(1936)による「手工教育基礎建設の曙光時代」[1907(明治40 年)頃~ 1926(大正15)年頃まで]における,1911(明治44)年の「改正小学校令」から1926(大正15)年の「改正小学校令」までの14 年9か月間を調査対象期間として,愛媛教育協会機関誌に見られる手工教育関係史料を調査し,愛媛県の尋常小学校及び高等小学校における手工科の成立及び展開過程を探った。その結果,1911(明治44)年の「改正小学校令」によって手工科は,高等小学校実業科目の選択必修科目の一つとなったが,実業科目としての性格が強くなると同時に,授業時数の増加が小学校にとって負担になり,手工科加設校は結果的に減少し,愛媛県の小学校における手工教育は混迷した。