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JaLCDOI 10.18926/bgeou/9533
FullText URL 095_0077_0085.pdf
Author Yamanaka, Yoshikazu|
Abstract 国学思想において、このような被治者たるものの心構えが、政治論的文脈の中で説かれるようななったのは、前章で指摘したとおり本居宣長においてであった。すなわち、宣長は『古事記伝』において「政」という言葉について次のようにのべている、政は、凡ての君の国を治坐す万の事の中に、神祇を祭賜ふが最重事なる故に、其余の事等をも括て祭事と云 とは、誰も思ふことにて、誠に然ることなれども、猶熟思に、言の本は其ノ由には非で 奉仕事なるべし、そは天下の臣連八十伴緒の天皇の大命を奉はりて、各其職を奉仕る、是天下の政なればなり、さて奉仕るを麻都理と云由は、麻都流を延て麻都呂布とも云ば、即君に服従て、其事を承はり行ふをいふなり 即ち「政」は「奉仕事なるべし」とのべ支配を形成する命令と服従の二つの要素のうち、被治者における服従の側面から政治を基礎づけたのであった。命令と服従あるいは治者と被治者との関係は「身分制的」社会における「上と下」の関係に外ならないのだが、本節ではこの問題に関して宣長学における「世間の風儀」の意義を中心に考察していくことにする。
Keywords 化政期国学 藤井高尚 本居宣長
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1994-03-15
Volume volume95
Start Page 77
End Page 85
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 110000129596
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9514
FullText URL 094_0019_0024.pdf
Author 加賀 勝|
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1993-11-15
Volume volume94
Start Page 19
End Page 24
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311080
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9507
FullText URL 093_0301_0317.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract この注釈は、前稿「今川了俊『道行きぶり』注釈(一)(二)(三)(四)」(研究集録、第八十九号、第九十号、第九十一号、第九十二号)に続くもので、今回をもって完結する。念のために、凡例を再録しておく。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1993-07-15
Volume volume93
Start Page 1
End Page 17
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311059
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9482
FullText URL 093_0001_0008.pdf
Author Hirai, Yasuhisa|
Abstract 本研究では、小学校1年生の整数の加法計算の問題において、子どもにどのようなレベルのComposite Unitが形成されているかを調べ、そのことと子供が用いる道具(具体物、指、暗算)およびストラテジーとの関連について考察することを目的とする。既にCompositeのレベルについては、被加数と加数の認識の仕方を別々に考慮することで、具体物を用いたストラテジーでのCompositeレベル(平井、1992a)や発達によるCompositeレベルの変容(平井、1992b)について考えてきた。ここでは、指を用いた解法でのCompositeレベルとストラテジーとの関係を中心に述べることにする。
Keywords 小学校1年生 たし算
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1993-07-15
Volume volume93
Start Page 1
End Page 8
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311175
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9481
FullText URL 092_0301_0312.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract この注釈は、前稿「今川了俊『道行きぶり』注釈(一)(二)(三)」(研究集録、第八十九号、第九十号、第九十一号)に続くものである。念のために、凡例を再録しておく。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1993-03-15
Volume volume92
Start Page 1
End Page 12
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311129
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9460
FullText URL 091_0201_0216.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract この注釈は、前稿「今川了俊『道行きぶり』注釈(一)(二)」(研究集録、第八十九号、第九十号)に続くものである。念のために、凡例を再録しておく。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1992-11-16
Volume volume91
Start Page 1
End Page 16
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311061
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9441
FullText URL 090_0301_0315.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract この注釈は、前稿「今川了俊『道行きぶり』注釈(一)」(研究集録、第八十九号)に続くものである。念のために、凡例を再録しておく。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1992-07-15
Volume volume90
Start Page 1
End Page 15
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311104
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9439
FullText URL 090_0203_0213.pdf
Author Yamanaka, Yoshikazu|
Abstract 本稿は、備中吉備津神社の神職であった国学者藤井高尚(明和元、1764年~天保11、1840年)に関して、かれの教訓的著作『浅瀬のしるべ』(文化9年)及び「道のしるべ」(文政7年『三のしるべ』上の巻)の検討を中心に、高尚の国学思惟における教化性の問題について考察することを通して、化政期国学の一断面を明らかにすることを主たる課題とするものである。
Keywords 化政期国学 藤井高尚 備中吉備津神社 教化論
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1992-07-15
Volume volume90
Start Page 203
End Page 213
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311097
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9425
FullText URL 090_0029_0037.pdf
Author Hirai, Yasuhisa|
Abstract 小学校1年生のたし算ストラテジーに関して、すでに筆者は同一グループの子どもたちに対して年間を通して3回の調査を実施して、Compositeのレベルと子どもの用いるストラテジーとの関わりなどについて調べてきた(平井1991、1992)。本研究では一般にMemorized factとよばれるところの記憶にもとづいて答える解法について考える。Compositeのレベルの高低に関わらずごく一部の問については結果を既に記憶しているという状態は、既に第1回の調査の時点で多くの子どもたちに見られた現象であった。第3回までの調査においてMemorized Factはどのような意味をもってくるか(あるいはもつべきか)についていくつかの事例をあげながら考察することにする。
Keywords 小学校1年生 Memorized Fact たし算
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1992-07-15
Volume volume90
Start Page 29
End Page 37
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311159
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9421
FullText URL 089_0301_0315.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 「道行きぶり」は今川了俊(貞世)(嘉暦元年―応永二十一年頃)の紀行文である。その冒頭は、「きさらぎ廿日夜ふかく、かすみつつ山のはちかき月影に、中なる川うちわたすほど」とだけあり、旅立ちの年時は明示されていないが、渡辺世祐氏は内容から判断して、了俊が応安四年(一三七一)、九州探題となって、大宰府に赴くときのものと考証された。このことは、後に紹介する書陵部蔵桂宮本「道行觸」の傍注によっても確認できる。二月二十日に京都を出発、播磨、備前、備中、備後、と山陽道を西下した了俊一行は、やがて安芸国に入り、厳島に参詣、さらに十一月二十九日、長門国の赤間関に到り、平家一門の霊を弔っているところでこの紀行文は閉じられている。その間、約九か月の旅程を六十首の和歌を縷めながら、簡潔な文章で記述する。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1992-03-16
Volume volume89
Start Page 1
End Page 15
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311137
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9415
FullText URL 089_0155_0166.pdf
Author Ido, Kazuhide|
Abstract 音楽の指導において、拍子記号とリズムとの関連は古くから新しい問題である。拍子の成立に関しては、古代ギリシャにまで遡ることができ、17世紀においては記譜と実際の運用に関しては、多くの問題点が問われている。そのような歴史を経て、19世紀に至って拍子記号に関わる共通の理解が浸透することとなった。その共通の理解とは、拍子を指導することがリズム指導の基本的な内容であり、拍子記号(2拍子は強、弱、3拍子は強、弱、弱、4拍子は強、弱、中強、弱)による拍の規則的な強弱感(拍子感)の指導が、リズム指導の原理となっているというものである。いわば、拍子感の育成がリズム指導の前提となっているのである。このことは音楽教育の現場において、広く認められている理念となっている。
Keywords 音楽 拍子概念 自然リズム
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1992-03-16
Volume volume89
Start Page 155
End Page 166
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311083
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9403
FullText URL 089_0035_0041.pdf
Author Hirai, Yasuhisa|
Abstract 本研究では、小学校1年生対象のたし算ストラテジー調査(現在実行中)の結果のうち、具体物がCompositeになっている子どもについて報告する。前回までの研究で、筆者(1991)は既習の加法計算を解くことのできる子どもが未習の加法計算(和が10以上18以下であるようなくり上がりのある1位数+1位数の和)についても解くことが可能であることを調べた。そこでは、調査データをSteffe(1988)のCounting Type(次節で説明)によって分類することで、Composite Unitが形成されていないために数え足しに失敗する子どもの例を得た。今回の調査では、同一グループの子どもたちに対して年間を通して3回行い、加法計算の問題において、子どもにどのようなレベルのComposite Unitが形成されているかを調べ、Compositeのレベルと子どもが用いる道具(具体物、指、暗算)との関連について調べることが目標である。今回は、第一回目の調査結果で同定された各レベルのCompositeのうち、具体物を用いた解法を示した子どもに見られるCompositeについて考えることにする。
Keywords 小学校1年生 たし算ストラテジー
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1992-03-16
Volume volume89
Start Page 35
End Page 41
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311078
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9400
FullText URL 088_0217_0229.pdf
Author 森 熊男|
Abstract 『史記』仲尼弟子列伝に、司馬耕、字子牛。牛多言而躁。問仁於孔子。孔子曰、仁者其言他訒。曰、其言也訒、斯可謂之仁乎。子曰、為之難、言之得無訒乎。問君子。子曰、君子不憂不懼。曰、不憂不懼、斯可謂之君子乎。曰、内省不疚、夫何憂何懼。と見える。こと司馬耕(あるいは司馬牛)に関して、司馬遷が記録したものといえば右の僅か八〇字の記述がその全てである。引用文中の「牛ハ多言ニシテ躁ナリ」なる批評が、いかなる資料に基づいて発せられたものであるかは問わぬとして、人間洞察に優れる司馬遷が、司馬耕に与えたこの人物評語は『論語』中の「司馬牛問仁」章の解釈に大きな影響を与え続けて来た。その事は本論でも触れる通り、紛れるかたなき明確な事実と言える。さて、標題に掲げた問題の「司馬牛問」で始まる章は『論語』の中に二章存している。一章は「司馬牛問仁」(顔淵篇)の章であり、他は同じく顔淵篇の「司馬牛問君子」のそれである。この小論では、これら二章に、更に、『論語』の中で司馬牛が登場しているいま一つの章、即ち、顔淵篇の「司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我独亡」の章をも加え併せた三章を分析の対象とし、それらに考察を加えることによって、司馬牛の人となりを明らかにし、そこから遡って、『論語』の「司馬牛問」の二章に対する解釈を試みる。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1991-11-15
Volume volume88
Start Page (17
End Page 29)
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311146
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9399
FullText URL 088_0209_0216.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 平成二年五月、「和歌史研究会会報」(第九十七号)に、梅沢記念館所蔵の古筆手鑑『あけぼの』収載の正徹詠草の古筆切に関し、「伝宗伊筆『正徹詠草切』について」という拙稿を公表した。その検討結果、この詠草切五首のうち、三首は家集「草根集」に見出されるが、他の二首は正徹の新出和歌と認定してよいこと、また、これは正徹が永享五年(一四三三)、あるいはそれに近い頃に詠出していた、独吟詠歌の手控え的な詠草の断簡の可能性が強いことなどを提示し、ただ、もとの詠草がどの程度まとまった資料であったかの想定は難しいことも申し添えておいた。その後、この拙稿を目にとめられた、田中登、杉谷寿郎の両氏から、相次いで先の詠草切のつれと思われる古筆切のコピーを数葉送っていただいた。長年にわたり、古筆切の収集、検討を持続されている、田中、杉谷両氏からの資料提供は、まことにありがたく、先の「あけぼの」収載の一葉も含め、伝杉原宗伊筆の「正徹詠草切」に関し、ここに改めて再検討を加えてみたい。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1991-11-15
Volume volume88
Start Page 9
End Page 16
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311183
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9386
FullText URL 088_0041_0047.pdf
Author Hirai, Yasuhisa|
Abstract Baroody(1985)は子どものinformalな手続きとsophisticated conceptとの不一致の例として、3+5において5から3だけ数え足しにする子どもが3+5と5+3が同じ答えになることまで考えていないという例をあげている。さらにBaroody(1987)では、加数と被加数の交換をするとき、sameではないにしてもcorrectな答えになると考える子どもがいることを述べられている。本研究では、小学校1年生の整数の加法計算の問題において、1年生1学期の段階で被加数と加数の順序を入れ換える活動をする子どもの例をいくつかあげて、子どもによってどのような背景が見られるかについて考察することを目的とする。なおデータとして用いるのは、小学校1年生に対するたし算ストラテジーの調査(註を参照)で得られた結果の一部である。
Keywords 小学校1年生 たし算 被加数
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1991-11-15
Volume volume88
Start Page 41
End Page 47
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311132
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9379
FullText URL 073_0219_0237.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 頓阿の家集「草庵和歌集」(正・続)が南北朝・室町時代および江戸時代を通じて、二条派和歌の聖典として広く享受されてきたことは、諸々の方面から確認できる。南北朝・室町時代の歌人たちは「草庵集」を写本で繙読しただろうが、江戸時代になると、版本が上梓されたので、それによって享受されることの方が多かったと推測される。江戸時代には、まず承応二年(一六六四)に、各々版本が刊行されている。『國書総目録』によると、承応二年板は、内閣文庫本以下五部、寛文四年板は慶応大学本以下二十部を各々掲出しているが、特別に多く現存するというほどではない。この二度にわたる版本の上梓は、江戸前期の歌人たちの渇をいやしたであろうが、元禄以降になると、「草庵集」を解体し、歌題別に分類、組織変えした「草庵和歌集類題」(以下「草庵類題」と略称)なる版本が一般に広く流布したようである。この事実は、すでに武者小路実影・似雲・澄月などの「草庵集」の享受の様相を辿ったところでも一言触れたことがあるが、彼らは皆、このコンパクトで便益な「草庵類題」を手許に所持し、詠歌の際に規範として活用していた。また、この本は、『國書総目録』に、元禄八年板、寛延四年板、安永四年板、嘉永二年板の諸版本が掲出されているように、頻繁に重刷された。この「草庵類題」は、「草庵集」(正・続)を解体し、歌題別に編纂したものだが、元禄頃から江戸時代を通し、人々に最も親しまれた頓阿の家集だけに、編纂に際して依拠した「草庵集」の伝本、本文の信頼度、編纂方針など、いわゆる成立問題の解明が改めて必要となる。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume73
Issue issue1
Start Page 19
End Page 37
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311151
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9373
FullText URL 073_0063_0075.pdf
Author 森 熊男|
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume73
Issue issue1
Start Page 63
End Page 75
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311077
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9372
FullText URL 073_0047_0062.pdf
Author Yamanaka, Yoshikazu|
Abstract 本稿は、まず[Ⅰ]において主として鈴木雅之と岩倉具視を手がかりにして、王政復古前における天皇統治の原理がどのように把握されていたかを明らかにする。次に[Ⅱ]において王政復古直後に形づくられようとした天皇像の基本的性格を矢野玄道と大久保利通の見解によって考察する。[Ⅲ]においては、[Ⅰ][Ⅱ]をうけて、明治維新政府の最初の教育制度構想である学舎制の特質を、矢野玄道の国学思想と学校構想とに焦点をあてて考察し、明治初頭の復古性を教育理念の側面から明らかにしたい。これらの作業は、教育勅語によって確定される民衆の臣民化政策の性格を、その道程の発端の時点において明らかにすることになるとおもうのである。
Keywords 国学 教化論 鈴木雅之 岩倉具視
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume73
Issue issue1
Start Page 47
End Page 62
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311166
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9364
FullText URL 072_0221_0232.pdf
Author 森 熊男|
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume72
Issue issue1
Start Page (21
End Page 32)
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311096
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9363
FullText URL 072_0201_0219.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 頓阿の家集「草庵和歌集」(正・続)は、成立当初から、二条派の歌人を中心にして、広く享受され、その影響力は、江戸時代にまで及んでいる。「草庵集」の享受の様相を辿り、その特質を把握することは、この家集の諸本の問題や和歌の特色に触れることができると同時に、その時代の和歌の実態の一面に照明を当てることにもなろう。この意味で、中世・近世における「草庵集」の享受を跡付けることは、少なからざる意義を有する。同様な趣旨のもとで、すでに、似雲の「詞林拾葉」(磯の浪)を取り扱ったが、本稿はそれに続き、澄月の「和歌爲隣抄」に焦点を絞り、享受の一端を明らかにしてゆきたい。澄月の伝記は、最近、兼清正徳氏の豊富な資料を駆使した大著『澄月傳の研究』(昭和58年刊)が出版され、その生涯が随分明確になってきた。まず最初に、この『澄月傳の研究』などを参照しながら、ごく簡単に彼の伝記を記述しておく。澄月は、正徳四年(一七一四)に、備中国浅口郡玉島に誕生(垂雲和歌集・亮々草紙)。俗姓は西山氏。垂雲軒・酔雲軒・酔夢庵などと号した。八歳の頃に出家、天台宗の清滝寺の慈相法印の徒弟となる。やがて比叡山に登り、天台教学を学んだと伝えられる。(近世三十六家集 伝)。ついで洛北塔の壇で信覚上人について念仏修行を積み、(近世往生伝)、長く行脚生活を続けた。その後、洛東岡崎に隠棲、武者小路実岳の門に入り、二条家歌学の奥旨を受けた後、(亮々草紙)、歌道で身をたて、小沢蘆庵・慈延・伴蒿蹊とともに、平安の和歌四天王と称された。寛政十年(一七九八)五月二日、垂雲軒で病死、享年八十五。主なる著作には、孫弟子の宮下正岑の撰録した「垂雲和歌集」(天保二年刊)、柿本・玉津嶋・住吉の三社への奉納歌「澄月法師千首和歌」(文政十一年刊)、それに歌論書「和歌爲隣抄」(寛政九年刊)などがある。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1986
Volume volume72
Issue issue1
Start Page 1
End Page 19
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311136