Bulletin of Graduate School of Education, Okayama University
Published by Graduate School of Education, Okayama University

<Formerly known as>
岡山大学教育学部研究集録 (1号-137号)

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「草庵和歌集」の享受の様相 澄月の「和歌爲隣抄」の場合

稲田 利徳 岡山大学
抄録
頓阿の家集「草庵和歌集」(正・続)は、成立当初から、二条派の歌人を中心にして、広く享受され、その影響力は、江戸時代にまで及んでいる。「草庵集」の享受の様相を辿り、その特質を把握することは、この家集の諸本の問題や和歌の特色に触れることができると同時に、その時代の和歌の実態の一面に照明を当てることにもなろう。この意味で、中世・近世における「草庵集」の享受を跡付けることは、少なからざる意義を有する。同様な趣旨のもとで、すでに、似雲の「詞林拾葉」(磯の浪)を取り扱ったが、本稿はそれに続き、澄月の「和歌爲隣抄」に焦点を絞り、享受の一端を明らかにしてゆきたい。澄月の伝記は、最近、兼清正徳氏の豊富な資料を駆使した大著『澄月傳の研究』(昭和58年刊)が出版され、その生涯が随分明確になってきた。まず最初に、この『澄月傳の研究』などを参照しながら、ごく簡単に彼の伝記を記述しておく。澄月は、正徳四年(一七一四)に、備中国浅口郡玉島に誕生(垂雲和歌集・亮々草紙)。俗姓は西山氏。垂雲軒・酔雲軒・酔夢庵などと号した。八歳の頃に出家、天台宗の清滝寺の慈相法印の徒弟となる。やがて比叡山に登り、天台教学を学んだと伝えられる。(近世三十六家集 伝)。ついで洛北塔の壇で信覚上人について念仏修行を積み、(近世往生伝)、長く行脚生活を続けた。その後、洛東岡崎に隠棲、武者小路実岳の門に入り、二条家歌学の奥旨を受けた後、(亮々草紙)、歌道で身をたて、小沢蘆庵・慈延・伴蒿蹊とともに、平安の和歌四天王と称された。寛政十年(一七九八)五月二日、垂雲軒で病死、享年八十五。主なる著作には、孫弟子の宮下正岑の撰録した「垂雲和歌集」(天保二年刊)、柿本・玉津嶋・住吉の三社への奉納歌「澄月法師千首和歌」(文政十一年刊)、それに歌論書「和歌爲隣抄」(寛政九年刊)などがある。
ISSN
0471-4008
NCID
AN00032875